読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

EX LOVEの日記

EX LOVEのわがまま日記

八甲田山から還ってきた男 雪中行軍隊長・福島大尉の生涯 高木勉

書評

明治35年に起きた八甲田山雪中遭難事件は、冬山の惨事として今も伝えられていますが、その大隊が青森から出発する3日前に弘前から出発した連隊が、反対周りで同じルートを縦断しました。その隊を率いた福島泰蔵大尉の生涯を、八甲田山縦断雪中行軍をメインに大尉の甥である高木勉氏が執筆した本です。


当時の世界情勢からロシアと戦う可能性があると見た福島は、まず雪中露営実験に始まり、岩木山雪中踏破、夏期炎天下長期強行軍を次々と企画実行した後、八甲田山縦断雪中踏破を決行します。

 

私の母の実家は弘前市に隣接する地域にあります。母から「冬は雪がすごい積もるから、2階の窓から外に出る」なんていう話をよく聞きました。一度だけ冬の時期にそこを訪れた事がありますが、ずっと天気が悪く夜は吹雪いて外は真っ白な状態がずっと続いていたので、外に遊びに行けず飽きてしまったのを思い出します。山中ですから、それよりもひどい状態になりやすい上に、スキーも冬登山用の装備も何も無かった時代に行軍するのは、余程の心構えと準備がないと死にに行くのと変わりません。福島大尉はその辺りを重々承知していて、冬季作戦につながる雪中行軍の調査研究を怠らず、また元日本・清国のロシア大使館付き参謀大佐の冬季作戦についてのインタビューを参考にするなど、慎重に準備・訓練を重ねていきました。凍傷の予防に靴下を重ねた上唐辛子をまぶし油紙を重ねる、握り飯や焼餅は凍るのを防ぐため油紙に包んで腹部に巻く、川は裸足で渡りその後良く拭いて乾かしてから靴下を履く等々、現在の冬山登山における注意事項の原型は、福島大尉の研究から出来たものでしょう。


雪中行軍の3年後、福島大尉は日露戦争中の激戦地の一つである黒溝台で戦死します。地理・気象・衛生等、冬の戦闘に関わる全てを研究する軍人一辺倒な大尉は、生活を省みる事無く細君は生活費の確保に非常に苦労した、という批判的な文章もあります。しかし、大尉の研究がなければ、日露戦争は敗北していたでしょう。

そして歴史が変わって、今の日本は無かったかもしれません。山口隊の遭難には近距離だからと準備が不足していた事や、出発当日に急に変わった荒天など様々な原因があります。そして最後には「各自勝手に進退するべし」と放り投げ199名が凍死してしまいます。

後は何とかなる、気合が大事という精神論では極寒酷暑は乗り越えられません。日本社会はとかく精神論を説く人が多いですが、この本は精神論と論理的思考による人間行動の比較が出来る一冊ではないでしょうか。